砂漠の花

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 翌日、ラズリは改めて皆に、自分を一人にさせてくれるよう願い入れると、一人で緑の庭に入って行った。顔色が悪く、酷く落ち込んで見えたラズリを心配する者達がしばらくラズリの背を追って囁きあっていたが、カーゼルはその者達にも亡き王の冥福を祈るように申し付けて、一人で庭の入り口に佇み、ラズリとの約束の時間が過ぎるのを待っていた。

 その間ずっと考えていた。どうやってラズリを殺すのか。
 ラズリはすでに、カーゼルの裏切りに気付いているのか。

 ようやく昼になったことに、カーゼルはラズリを待ってずっと立っていた場所に強い日差しが降り注ぐようになったことで気付いた。そろそろ約束の時間だった。このまま一人でラズリを迎えに行き、ラズリを殺したら、自分はその死体を抱えて戻り、他の者に殺されよう。カーゼルが思いついた最良の選択がそれだった。ラズリを殺さず、妹を不憫な目にあわせ続けることはできない。そしてラズリを殺し、その報酬として自分が生き続けることもできない。自分本位の考えと分かっていたけれど、カーゼルができる選択はこれだけだった。

 カーゼルは緑の楽園を血で汚すために彷徨った。しかし今日この日だけは、緑の楽園が迷宮に変わった。いつもは自然とラズリを見つけ出すことができるのに、まるで木々の緑がカーゼルの邪魔をするように惑わせてラズリにたどり着くことができない。

「殿下……。殿下、お時間です。殿下!」

 カーゼルがいくら声を張り上げても、ラズリは姿を現さなかった。汗ばむまで彷徨ってようやく、カーゼルは離宮の方へ戻った。ラズリの元へ辿り着けないのではない。ラズリがこの園にいないのだと気付いたからだ。

 ラズリを呼ぶカーゼルの声が離宮にも響いていたのか、メディナが庭園まで降りてきていた。

「メディナ! ……殿下は、殿下は戻られたか?」

 必死の形相で駆け寄ってきたカーゼルに、メディナが怯みながらも答えを返した。

「何を言っているの? ずっと中庭におられたはずよ。お前がお迎えに……。いないの? まさか、殿下がいないの?」
「皆を呼ぶのだ。殿下を探せ!」

 メディナが悲鳴のような声で他の者を呼び、やがて離宮の者が総出でラズリを探し始めた。しかし、ラズリの姿はどこにもなく、日が落ちかけても見つけ出すことはできなかった。カーゼルは何度も庭園に入っては出てきていたが、もう辺りも暗く見えなくなってから、ようやく迷宮は眠りに就いて、カーゼルに道を示した。

 それはカーゼルが見たことのないトンネルだった。木々に隠れるようにして、身を屈めてようやく入ることのできるほどの穴がぽっかりと空いていた。すでにトンネル内部は外の闇よりも暗く、カーゼルは誰にも言わずに離宮に戻ると、松明を持って一人でその穴に入った。獣のように両手と両膝をついて進むしかないトンネルの途中で、カーゼルは真新しい手紙を見つけた。揺れる松明の火でそれを照らすと、木の葉の繊維で作られた紙に見慣れたラズリの文字が躍っていた。


 カーゼル、これが君の手に渡ることを祈る。
 何も言わずに行くことを許して欲しい。
 君は最後まで私のわがままを聞いてくれた。
 その報いを、こんな形でしか返せないことが辛い。
 カーゼル。
 私が君に出来るのは、私から君を解放することだけだ。
 ラズリは死んだと、皆に伝えて欲しい。
 そしてこれからはどうか、自由に生きておくれ。
 ありがとう。


 理由を告げぬままの突然の別れと、カーゼルの身では受け取ることのできない感謝の言葉。わがままを聞いたのはどちらの方だったろう。カーゼルはその手紙を胸に抱いて泣いた。

 やがていつまでも泣いている時間はない、とカーゼルは松明を掲げてトンネルを進んだ。ラズリを追わなくてはいけない。今度は殺すためではなく、偽りを謝罪し、また側に仕えるためにだ。

 トンネルを抜けるとすぐに、穴の出口で男が一人立っていた。男はカーゼルの姿を認めるとぎょっとしたように身を引き、すぐに抜刀して身構えた。カーゼルも片手で剣を探り、もう片方の手で松明を突き出して男の顔を探った。男はもう若くはなく、しかし日に焼けたがっしりとした体つきをしていた。松明の灯りと共に揺れる顔に、カーゼルは目を細めた。どこかで見たことがある。そう思うと、すぐに脳裏に浮かんだ。一度だけ見たことがある。それは離宮で、初めてラズリに会った時と同じ日だった。

「お前は! ラズリ様の守り役だった男だな? そうだろう! 殿下を、ラズリ様をお見かけしなかったか! アルウェ様は、いま何処に?」
「お前は誰だ?」

 男はまだ身の緊張を解かず、必死に詰め寄るカーゼルに対し身を引いた。

「カーゼル。ラズリ様の守り役だ。知っていることがあるなら教えてくれ! 殿下は……」

 男はカーゼルの言葉に今までとは別種の緊張を走らせ、剣をしまうとすぐさま旅荷物を乗せたラクダを引っ張ってカーゼルの前に置いた。

「北へ。まだ間に合うはずだ。ラクダを貸す。行け!」
「待て、お前は何を知っている?」
「時間がない。殿下にお会いしたくば、早く行くのだ!」

 男はそう言うと、カーゼルを無理やりラクダに乗せ、ラクダの尻を叩いた。ラクダは一瞬飛び跳ね、そしてすぐにカーゼルを振り落とす勢いで走り出した。カーゼルはラクダに合わせて跳ね上がる手綱を必死で手繰り寄せ、何とか落とされないよう体勢を整えることができた。そして随分駆けてからようやく振り返ると、ラクダの尻を叩いた男は、薄闇の中でさえカーゼルのことをずっと見送っていた。

 ラクダはまるで行き先を知っているかのように迷いなく北へと進み、カーゼルは夜通しラクダの背に揺られていた。やがて夜が明け、すぐに気温が上がり始めた。カーゼルは布で頭と顔を庇いながら数時間進んだ。カーゼルをラクダに乗せた男は、ラクダに食料も水も積んでいてくれた。しかし朝食を摂る暇も惜しんで、カーゼルは先を急いだ。その甲斐あってか、カーゼルは砂漠のただ中で、座り込んだラクダの背に疲れた様子でもたれているラズリに追いつくことができた。

「……殿下? ラズリ様!」

 カーゼルはラクダから飛び降りると、ラズリの側に駆け寄って跪いた。

「カーゼル、水を、水をくれないか?」

 朦朧としているラズリは、カーゼルの顔を見ても驚かなかった。カーゼルは立ち上がって自分のラクダに戻ると、水を入れた袋を持ってラズリの口元へ寄せた。

「殿下、水です」

 そう言うと、重そうな腕を上げてラズリは袋を持ち水を飲んだ。そうすると意識がようやくはっきりとしたのか、しっかりとカーゼルの方を見て掠れた声で言った。

「……何故私を追ってきた? こんなところに来るべきではなかった、カーゼル」
「殿下、私は尊公から離れては生きていけません。……お聞かせ下さい。あの晩、私が尊公を殺そうとした夜のこと。いつから気付いていらしたのですか、私が、尊公を狙っていると」

 カーゼルが問うと、ラズリは深い溜息をついた。

「私はお前が悩んでいることを知っていた。私のことで、何か悩んでいることを。それだけだよ」
「一言、尊公に謝罪したかった。私はずっと、尊公を騙して、裏切っていたのです」

 頭を下げるカーゼルをじっと見やりながら、ラズリは静かな声でカーゼルの頭を撫でた。

「だから私はお前を解放してやりたかった。私はお前を恨んではいないよ。お前の役目がなんであれ、お前はいつも私と一緒にいて、私を案じてくれたのだもの。さぁ、もし許しが欲しいのなら、私はお前を許すと言おう。お前は、お前の戻りたい地にお戻り。私はもう少し先に進まねば」

 ラズリが立ち上がると、座っていたラクダも立ち上がった。ラクダはとても気難しい生き物だが、ラズリのラクダは何故か大人しく彼に従順だ。

「お供いたします」
「いけない。それは駄目だ」

 きっぱりと突き放すように首を横に振ったラズリに、カーゼルも必死で縋り付いた。

「私の戻りたい地は、尊公の立っておられる場所です。それに尊公はこれ以上お一人で旅を続けることはできません。ご自分の顔色をご覧になりませ」

 鏡のような物は何一つ持っていなかったので、実際に顔色をラズリに見せてやることはできなかった。しかし見なくてもラズリは自分がどんなに酷い顔をしているのか、分かっていたのだろう。ラクダを半歩遅らせて付いてくるカーゼルに、再度戻れと命令することはなかった。

 ラズリは道の途中、しきりに水を欲しがった。しかし食べ物は殆ど口にしない。顔色はますます悪くなっていき、日中熱風が吹いても、カーゼルの半分も汗を流さなかった。尋常な様子ではなかった。ラズリと砂漠を進んで二日目の昼、カーゼルはラクダを座らせてその陰で砂嵐を凌いだ後、とうとう我慢ができなくなってラズリに進言した。

「……殿下、どうかこの道を外れて、医者に体をおみせになってください」

 その勧めにラズリは黙って首を振った。

「……できない。これは治る病気ではないのだ。安心おし。お前に移ることはない。母上の血を継いだ私だからこそ侵された病なのだ」
「まさか、アルウェ様はご病気になられたことを悟って、王宮を出られたのですか? 尊公のように」

 カーゼルが言うと、ラズリは母を思い出したのか遠くを見て懐かしむように、穏やかに微笑んだ。

「病気が知れて、私が王宮を追われるのを恐れたのだ。母上が王宮を出られてすぐ、私はあの抜け道の入り口で、母上の残された書を見つけた。いつか、もし書に記されたような症状が見られるようになったら、同じように王宮を抜けて、ある場所を目指すように母上は言われた」

 そう言って、ラズリはラクダの上から真っ直ぐ北を示した。その決然とした様子は、王座についた王が家臣達に命を下す、その様をありありとカーゼルの脳裏に描かせた。今は華奢な手足も、成長すればしなやかな筋肉を纏うようになり、その理知的な顔も精悍さを帯びて人々に訴えかけることだろう。


 この方は王だ。


 そうなるべくして生まれている。それなのに、向かう先が王座ではないなんて。

「それが、いま向かっている場所なのですね」
「そうだよ。だから私はこの道を行く。そこから反れることはできないのだ」

 それから二日、二人はラクダに乗って北へ、北へと進んだ。ラズリはとうとう日中でも顔を青くして、汗ひとつかかなくなった。三回ほど砂嵐に見舞われたが、二人は無事目的の場所に辿り着くことができた。

 ラズリの目指していた場所は、見たことない草の生い茂るオアシスだった。その場所に辿り着いたその時から、ラズリは水辺の草の上に寝転がって、殆ど動かなくなってしまった。日中、目は開かれているものの、どこか焦点がはっきりとせず、夜はただただ昏々と眠りにつく。一日、二日と過ぎていくうちに、ラズリの顔は青というよりは緑に近くなっていった。

「……カーゼル。水を」

 掠れた声でラズリが言った。もうここに着いてから、ラズリはこの言葉しか口にしなくなっていた。

「はい。殿下」

 カーゼルもこう答えることしかできない。オアシスに生えた木の葉を使い、カーゼルは水を掬ってラズリの口元へ持っていった。血の気の無くなった唇の隙間から、カーゼルはラズリに水を飲ませる。細い喉が上下に動いて、ラズリは水を飲み込んだ。

「おいしい」

 うっとりと口の端を引き上げて、ラズリがそう呟いた。カーゼルはその言葉に安堵し、そしてすぐにラクダに付けていた食料を手にした。

「何か、食べ物を召し上がって下さい。殿下、水だけでは」

 ラズリはゆっくりと首を動かし、カーゼルの手に乗った乾燥した果物を見たけれど、食欲は湧かないようだった。細い手でカーゼルの手を押しやると、強張った頬を持ち上げてぎこちなく微笑んだ。

「カーゼル。良いのだ。お前がお食べ。私はもう水以外は体が受け付けない」

 それがラズリの侵された病なのだろうと分かっても、カーゼルは納得できなかった。心の内にどんな想いがあったにせよ、ずっと側にいて見守ってきた人の笑顔はもっと輝いていたし、またそれが見たいと思った。これはカーゼルに対する罰なのだろうか。この人を裏切り、裏切りながらも自分の幸せに浮かれて、この人を蝕む病に気付くことができなかった。

 それから数時間後、ラズリはそっと目を閉じた。水も口にしなくなって、その肌がますます緑色に染まっていった。時折カーゼルは口元に耳を当てて、まだラズリが息をしていることにほっとする。そんな日が三日続いた。三日目の夜、ずっとラズリの顔を見詰めて側を離れなかったカーゼルが、微かにラズリの瞳が開かれるのを確認した。カーゼルは身を乗り出してラズリの瞳を見つめた。ラズリはカーゼルの影を見止めたのか、そっと微笑んで言った。

「……カーゼル。私はお前に砂漠の花をあげられる。受け取っておくれ」

 小さく動かされたラズリの手を、カーゼルは必死で握り締めた。

「殿下?」

 呼びかけたときには、ラズリの瞳は再び閉じられていた。

「美しい花が咲くと良いのだけれど……」

 もう本当にそう言ったのか分からなかった。ラズリの声は吐息よりも小さく、肺からの風が何かしらの言葉を望むカーゼルの耳にそう響いただけかもしれなかった。

「殿下、殿下。目を開けて下さい。殿下……」

 最初こそ触れることを戸惑ったが、微かな胸の上下さえ見られなくなったラズリの姿に、カーゼルはとうとうその体に手を触れ、小さく揺さぶった。しかし何度揺さぶっても、何度呼びかけても、ラズリは指一本動かさなかった。ナイルブルーに染まったラズリの肌は、もう人とはとても思えなかった。けれどそれは水の青と木々の緑を重ね合わせた、この砂漠では宝石よりも尊く、美しい色だった。

 カーゼルは息を引きとったラズリの側で、これから自分がどうするべきなのか考えていた。ラズリの躯を連れて、王宮へ戻るべきか。自分が殺したと偽って、いっそ裁かれようか。そうすれば、妹を助けることもできるし、ラズリ一人を逝かせることにもならない。

 だが、ラズリが望んだこの土地から、彼の躯を動かして良いものだろうか。陰謀渦巻く王宮になど、ラズリはもう戻りたいと思わないのでは。何よりこの奇妙な病気に蝕まれた肌をメディナや離宮の者達に晒したいとは望まないのではないだろうか。

 花を――。

 ラズリは確かに言った。カーゼルに砂漠の花を与えてくれる、と。しかしこの緑のオアシスには、艶やかな葉はあっても美麗な花は咲いていない。

 夜が来て、気温が下がり、澄んだ空気の中でオアシスの水面に星々が反射して輝いた。動かないラズリの顔を見ながら、カーゼルは襲ってくる睡魔に勝てず、うつらうつらとし始めた。そのまま数分寝てしまったカーゼルは、何かが弾ける音に目を覚まし、咄嗟に腰に下げた剣を抜いた。オアシスに立ち寄る旅人には様々な者がいる。ならず者に今のラズリの姿を晒したくなかった。

 身構えたカーゼルだがしかし、目を凝らして周囲を見回しても、他に人のいる気配はなかった。勘違いだったのだろうと力を抜きラズリの屍を見ると、目に映った信じられない光景にカーゼルは腰を抜かした。


 ラズリの死体から、見たことのない花が生えていた。
 緑の葉は月に照らされ艶やかに天を指している。


 そしてその間から覗くラズリの肌は、まるでその葉に吸い取られたように緑の色を無くしていた。服を突き破り、肌から、口から、目から、ラズリは花を咲かせていた。美しい花だった。艶のある葉に彩られた手のひらほどの大きな花弁は、うっすらと紅を帯びた白で、丁度血色の良い肌の色に似ていた。その色は労働を知らず、この砂漠の国で白い肌を保ち続けたラズリそのものだった。

 これがラズリの侵された病の正体。人を媒介にして生まれる花が。もしかしたらこのオアシスの植物は、ラズリの母アルウェの変わり果てた姿なのかもしれない。カーゼルは力の抜けた体を何とか引き摺って、もう所々の肌しか見えないラズリの指先に口付けた。口付けた指先からは、密やかに香る花の匂いが、夜の闇に幻のように漂った。

 もう確信した。ラズリはここから動くことは望まないだろう。母の躯が朽ちた場所で、同じく自らもその体を大地に捧げたいと願ったのだ。では迷いなく自分の心もこの地に根付かせよう、とカーゼルは神聖な誓いの言葉を口にした。


「ラズリ様、楽園の王。私の、唯一の王よ。尊公の花は美しい。尊公の居る場所は、楽園です」


 数十年後、砂漠の民は噂する。この砂漠の北の果てに、美しき花の咲く楽園があり、そこには王に仕える従者のごとく楽園を守る男がいると。

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